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山中廃徊記

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ここが墓地であったという、決定的な証拠となるようなものはないかと、丘の周りを調べてみました。
この辺り、丘を頂点とした4~5段のひな壇状になっております。
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こんな感じ
各段の側面は、石垣ががっちり組んであります。
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何らかの施設の跡地であることは間違いありません。

うろうろしているとこんなものがありました。何かの台座のような感じ。この上にお墓がのっていた?
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この横には・・・わかりにくいですが、真ん中が窪んでいて左右に石組みが施されています(右端の背の高いのは自然石です。石組みではありません)。
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ちょうどBBQの網を載せる竈のような感じ・・・
炭焼き窯の跡のようにも見えますが、墓地で炭焼く奴はおらんやろ、と思うのですよ。

この広いひな壇を上から下まで、30分ほど歩き回りました。しかし最初のお墓以外墓地であったという痕跡はありません。

諦めてただ一基のお墓の前に戻って来ました。
お墓の横から彦根道方向を眺めていたとき・・・

!!!
ああああった〜かも
下の写真、赤丸部分にやたら丸い苔の塊が見えます。この辺りにある石灰岩ならもっと角ばっているはず。あきらかに人工物に苔が生えている感じです。
最初にここを通った時は、まったく気が付きませんでした。
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近寄って見てみると
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間違いなくお地蔵さまやら五輪塔、宝篋印塔です。ミニサイズですが。
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これを探していたのです。「離村部落の民俗報告」に載っていた『榑ヶ畑・墓地』というキャプションの付いたこの写真のものと同一です。
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[滋賀民俗学会 湖東・湖西の山村生活 離村部落の民俗報告より転載]
これだけたくさんあれば、たとえ墓石を移転先に持って行ったとしても、いくつかは残っているはずだ、と踏んでいたのです。

あるいは太平寺のように一か所にまとめてお祀りしてあるはずだと。

さらにこの古い写真の右上に写りこんでいる、大変特徴的な大きな洞(うろ)を持つ樹に注目していただきたい。

なんとこの樹が枯れて腐りかけながらも残っていたのです。その50年後の姿です。
イメージ 13
場所は、先ほどのお墓のすぐ横。そしてその前には石仏たち。
イメージ 14
樹と石仏は今も50年前と変わらずに同じ場所にあったのです。古い写真の左隅に写るお墓は、存在していません。現在ただ一基のお墓が当時もあったかどうかは写ってないのでわかりません。

ともかくこれで、この場所が榑ヶ畑の墓地であったことがはっきりしたわけです。



次回、「真」彦根道探しはまだ続きます。 

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